2012年12月30日日曜日

退院しました

本日、ようやく退院となりました。
みなさまにはご心配おかけしました。また、はげましの言葉など本当にありがとうございました。
しばらく自宅療養、通院治療してからの社会復帰となります。いましばらくお待ち下さい。はやく元気な姿を皆さんにお見せできるように、しっかりとあせらず回復につとめたいと思います。
伊勢崎市民病院の担当してくださった医師の方々、お世話になりました。
八階の看護士さんは皆さん、素晴らしい仕事をしていました。美人ばかりだし(笑)ありがとうございました。
その他、スタッフの方々にも感謝しております。
この一ヶ月は生涯、忘れることはないと思います。
生澤 高之

2012年12月29日土曜日

記録15

歩いても大丈夫!と行動制限がなくなり、と言っても、入院している部屋は八階ですがその階だけじゃなく病院内なら歩いてもいいですよ、という感じになり、すこし気分転換ができるようになりました。ただそれだけでも平和な気分になります。
いままで大きな怪我も病気もしてきませんでしたから、こういう長期の入院も、安静が必要なことも初体験でしたし。検査もまだ続きますが、自分で歩いて行けるようになりましたし、シャワーも一人で入れるようになり、精神的にも余裕が出てきました。
病院は大きかったです。レストランや床屋もあるようです。売店とは別にコンビニもあります。自分で買い物にも行けるようになりました。
まだ数百メートルを歩くだけで疲れますし、足も痛みが残っています。
ちょっと病院から外に出て、すぐ向かいの書店へ買い物に行ってみましたが、筋肉痛になりました…
12月20日を区切りに、実は血管外科から内科に転科することになりました。私はもう20代の頃から血糖値が高く、健康診断で指摘されることが多かったので、今回の血液検査でも引っ掛かったのです。しかし今までも再検査するとすぐに正常値に戻るので、今回もそんな感じなのですが…私ももう四十歳を越えたし、糖尿病は怖いし、お医者様もほうってはくれませんので、細かく検査をして調べていただくことになりました。
しかしここからが忙しかった。
まず内科外来へ行き、糖尿病専門の医師の診察。随分と脅かされます。
心電図、両手両足で血圧を計る。
眼科外来に行き、網膜の検査などなど。糖尿から網膜損傷で失明する場合があるらしく、自覚症状を感じた時には手遅れだそうです。眼科は今後も定期的に検査することになりそうです。
24時間、尿を全部捨てず貯めて提出、腎臓の検査。
腹部エコーによる撮影検査。内蔵疾患も怖いそうです。
一日に七回もの採血。朝食前、後、昼食前、後、夕食前、後、就寝前。これがハードだった。針の刺しすぎで腕が痛くなります。これで血糖値の変動が細かくわかり、食事の制限も変化しました。血糖値もやはり正常値になり、食事の量が多くなりましたが、またそこで再度、七回採決が始まりました。これは苦痛でした。
しかし、真面目に間食もせず、空腹を我慢した甲斐がありました。なんとかクリア?
更に今後の為に、栄養士さんの所へ行き食事のお勉強したり…
まぁ、今後も薬を飲み続け、血糖値はコントロールを続けます。
いまは体重も落ちてますので、これからの生活、特に食事と運動には気を付けなければなりません。
かくして、退院が延びて延びて12月29日。まるまるちょうど一ヶ月。ようやく退院できることになりました。これを書き込んでいるのはまだ病室ですが、朝が来て朝食を済ませれば、やっと出所です。
随分と長く入院してしまいました。その間、たくさんの医師、看護師さん、スタッフの方々には本当によくしていただき、感謝してます。みんな素晴らしく、人間的にもいい方ばかりでした。この一ヶ月のことは生涯忘れないと思います。
しかし年内に退院できて、ギリギリでしたがホッとしました。年末年始、ゆっくり過ごせます。年が明けたらリハビリで自宅療養と通院して頃合いを探って社会復帰に向かいます。

2012年12月21日金曜日

記録14

12月19日、実に入院から20日間もたった。過ぎてしまえばもうそんなに時間がたったのか、という感じがする。
この日、三度目のCT撮影。
検査技師のおじさんと撮影中、話をしていたのだが、「エコノミークラス症候群?飛行機に乗ってなっちゃったの?」
「いえ、追突事故されて、一週間ほど足が痛くて歩けなかったらそれがきっかけで血栓ができたみたいで…」
「そうかぁ、大変だったね。でも命があって良かったんだよ?結構こういうので速攻、亡くなる人もいるんだから」
ズーン。怖っ。
周りの患者を見れば、高齢者もしくは若くてもメタボな方が多く、そのほとんどが心臓の血管が詰まった人。俺のようなケースは他にいない。気がつけばもう同室入院の患者はみんな、手術してリハビリして退院していった。そして新たな患者が入院してきている。もう俺が一番長くなってしまった。
その日の夜にCTの結果の説明を受ける。
なんと肺の血管に飛んで詰まっていた血栓が薬のおかげで溶けて流れたらしく、消滅していたのであった。よかった。これで当面、肺に関しては心配いらないでしょうとのこと。詰まった状態が長く続くと肺の一部が死んでしまい能力が低下するがその危険もないだろうし、新たに血栓が増えて呼吸不全になる可能性もほぼ心配いらないだろうと。
ひとまず、突然倒れたり、命を落としたりという心配はしなくてよくなった。
さすがに今回は命の危険を感じたし、恐怖を味わった。じわじわと、苦しかったり痛かったりがそれほど無かったから余計に実感のないまま色々と考えてしまっていたから。
ただ、足の血栓はやはり変わりなく、一生このままつきあっていくしかないでしょうと。
血液を固まりにくくサラサラにする飲み薬ワーファリンは今後死ぬまで飲み続けなければならない。日常生活では出血しないように、怪我をしないように。ほかの治療を受けるときは必ずワーファリンを飲んでいることを申告しなければならない。
そして足のむくみをおさえる圧力ソックスの着用。
足の痛み、むくみはどうしても出てくるらしい。ただそれが血栓の悪化とは繋がらないので、痛くなったらむくんだら運動を止める、という感じになるんだろうか。その辺どのくらい動けて耐えられるのか、退院したら筋力を取り戻すリハビリしながら確認していこうと思う。
詰まった血管と平行に延びているであろう細い静脈も、補うように成長していくらしいが数ヶ月かかるようなので、それも期待しつつあせらずにいこう。
なにより、危険が去ったので心配せずに歩き回ることができる。
と、いうかすっかり筋肉が落ち、全身ほっそりとやわらかい体になってしまった。歩いたりして鍛えないといけない。体重はもうすぐマイナス10kg。
あとはワーファリンの摂取量がきっちり決まれば退院になるそうだ。まだ一日一日多くなったり少なくなったり調整中だけどもうそれほど時間もかからないだろうとのこと。
年内退院はまちがいないでしょう。

2012年12月17日月曜日

記録13

下肢深部静脈血栓症は肺塞栓症とセットで発症しやすいらしい。
別名、エコノミークラス症候群。
要は長時間、飛行機に乗っている。すなわち長時間おなじ姿勢でいる。機内は乾燥し、脱水症状が起こりやすい。血液がドロドロになり血栓ができやすくなってしまう。足が運動していないのでなおさら血栓ができやすくなってしまう。
そしてその足の静脈にできた血栓が、突然の運動再開などにより詰まりが解消されて、血栓の固まりが血管内を移動し、肺の血管で詰まってしまう。
肺は無数の血管が張り巡らされそこで血液に酸素を取り入れる。その血管が詰まることで呼吸が困難になってしまう。
運が悪ければ即刻、死亡なんてこともあるらしい…
私のように、交通事故などで足を怪我したことで起こるケースもなきにしもあらず、だそうだ。
ちなみに、事故相手側の保険担当の方の話では初めてのケースだそうだ。
そう考えると、私の場合、血栓が非常に長い期間をかけて、広範囲に固まっていったようで、しかも途中で一度血栓が肺に入り込んでしまっている。幸いなことにその時に致命傷ではなかったのだ。つまり、運が悪かったり、あのままもうしばらく仕事が抜けられず病院に行けなかったら…自宅か、仕事先の現場、それか移動中の車で突然呼吸困難になり、最悪そのまま天国に行っていたかもしれない。
ならば、あのタイミングで病院に行き、そのまま入院、処置してもらえたのは幸運だったのかもしれない。
足の血栓の範囲がせまければカテーテル手術をして血栓を取り除き、さっさと退院できるようなのだが、それができないので飲み薬、ワーファリンで血液をサラサラにするしかないのだ。
ワーファリン服用の注意として、納豆は食べてはいけないらしい。いけないと言われると食べたくなるのが不思議。
血栓が溶けない場合、何ヶ月かかけてそのまわりのもっと細い血管が成長していき、静脈の機能を補おうとするらしい。人間ってすごい。
足も肺も、血栓がいつか溶けてなくなるといいなぁ。
やはり退院後の運動能力が、以前とは違うだろうからね…
可能性がゼロではない限り、がんばるしかないでしょう。がんばろう。

2012年12月16日日曜日

記録12

とりあえず点滴はしなくていいようなので、腕に刺さっていた針は抜いてもらった。
実は注射の類は結構苦手でして…血を見るのも苦手。
薬の効果をまめに調べなくてはならないので、朝ほぼ毎日、採血されます。それをしらべてもらって夜に飲む薬の量を調整していくらしいです。
その他、割と頻繁にナースさんが血圧と酸素量、体温を測定。足のむくみ、いたみ、しびれと足の脈を確認。それと肺の具合の確認。息苦しくないか、胸の痛みは?気持ち悪くないか?
シャワーを浴びるのも解禁になりまして、スッキリすることができました。
足には包帯を巻いてむくみをおさえていましたが、そういう病気の人の為のストッキングがありまして、それを履くことになりました。なれないとキツくてなかなか履けないです。しかしこれで圧迫して静脈の血液を押し上げてやる。
トイレまでの行動範囲が、病棟のその階ならば歩いてもよくなったので、少し窓際に外の景色を見に行ったりできます。八階からの景色はかなり眺めがよく、前橋、高崎の背の高いビルや渋川の夜景まで見えます。
ただ、歩けるといってもまだやはりそんなには動いちゃだめなようで、ほとんどベットの上にいますが。
横になっている時は、少しでも足のむくみがないように、静脈が流れやすくなるように左足を少し高く上げています。
しかしこれがなかなか腰が痛くなるんです…
朝は6時に起きて、夜9時に消灯。なるべくその通りに行動してます。年寄りの安静にしてなきゃならない人がほとんどなので。
しかし、昼間は暇で、なんだか眠くなってしまうんですよね。そして夜が目が冴えてしまう。なるべく昼間に眠らないように気をつけています。
左足はかなり腫れむくみもなくなりました。しかし右足と比べるとあきらかに異常な色をしています。血行が悪いんでしょうね。そして入院の時の痛みはないですが、違和感は残っていて、おそらく立っていたり歩いていたりするとまた痛みがでるな、という予感はあります。
18日間たった時点で体重は8キロくらい減りました。ちょっと急ですよね。病院食しか食べていないので、脂肪も落ちたと思いますがそれよりも動かないせいで筋肉がかなりなくなってしまいました。だから軽くなったのだと思います。腕も足も細く、やわらかくなってしまい、これは取り戻すのが大変そうです…仕方ないので、ちゃんと動ける状況になってから考えることにします。あとなぜか身長が2cm延びました。寝てばかりいるのが関係しているのでしょうか?
そんなこんなで、およそ二週間の間をあけて、12月19日に三回目のCT撮影をすることになりました。
そこで、血栓の状態が以前より悪くなっていないこと、安定した体調で服用するワーファリンの量が決められるようであれば、退院する方向に進みましょうと言われました。
もしうまくすれば退院が思ったより早くできるかも?もちろんその後は通院が必要だし、しばらくは自宅療養で仕事はもちろん出歩くこともできませんが、家には帰りたいですから。ギターも弾けますしね。
真面目におとなしく、がんばって安静に。一日でもはやく退院したい。
そろそろ部屋主になりそうなもので(笑)
たまに窓から、青い空を眺めています…
はやく外に出たい。

2012年12月15日土曜日

記録11

入院も1週間を過ぎると、同室の入院患者の顔もだんだんと変わっていったりする。
自分は血管外科ということになっているが、循環器系の患者の病棟にあるらしい。同室の人達もそれなりに危ない状況から安定してきた人が多いようで、夜、救急車で運ばれてきた人や、部屋から手術へ出ていき集中治療室へ移る人、手術後に安定してきてまた一般病室に入る人、一度退院したのにまた病状が悪化して戻ってくる人などなど…
多くの人が自分よりご年配で、やはりずーっと点滴や薬を管で体に入れていたりして、安静度が高い。トイレにも自由に行けない人も多い。
しかし、手術ができる人は手術後しばらくまでは大変つらそうだが、そこからの回復が非常に早くてあっという間に退院していく。うらやましい。
私の担当医となってくれた先生は女性で、背の小さい若い人だ。とても誠実に丁寧に話を一生懸命してくれて、そこはかとなくデキル雰囲気も漂っていて信頼が置ける。
この病院の空気からしてそういう先生が多いような雰囲気がする。他の先生とも協力、連携しているようだし、看護師さんたちもすごく統率されつつ、一人一人が向上心を持っているように感じる。
なかなか大きな病院なので、働いているスタッフもかなりの人数だと思う。清掃したり配膳したりする方々もふくめ、やはり全体的な空気がいい。きっと引き締めるべきところはきっちりと引き締め、真剣に仕事を協力しながら高めながらやっていこうとしているのだと感じる。
結構病院って…なんか連携という部分ではあまり期待してなかったのですが。なんかそういうイメージありますよね。医師間もそうだし、看護師とか事務とかとの連携って実は大変だと思います。
今回の入院治療の費用に関して、病院と事故相手の保険との連絡がうまくいかないこともありました。検査の結果をまっていたり病院の判断、保険の対応など、どちらからも状況を待つ姿勢になっていたみたいで動きが止まってしまっていたようです。
肝心の私自身が動けませんから、色々多方面への連絡も満足にできないので、なんとか話をまとめるようにするまで気が気ではなかったです。やはりお金は心配ですからね。結構かかると思うし。
今後のことはまだ決まっていないことのほうが多いですが、とりあえず少し気が楽になったような。

2012年12月14日金曜日

記録10

血液検査から、先天性、遺伝性で血栓ができやすい体質なのかどうかを調べた結果、まったくそんなことはなく、原因としては10月1日の追突事故で左足をなにかにぶつけた衝撃できっかけとなる血栓ができてしまった。
そしてその後、一週間はほとんど歩けなくて横になっていた。それに加えて体調が、血栓ができやすくなってしまっていた。たとえば運動不足、脱水症状など。その期間にエコノミークラス症候群となり、血栓がたまっていったのではないか。
原因が事故にある、と言われたのはある意味、ほっとした。なぜなら自分に先天性で原因があるとしたら、事故の保険で治療費も休業補償も慰謝料も出ない。ものすごいことになるからだ。給料も出ず入院費と退院後の通院費用も自分で出さなければならないとなればおちおち寝てもいられないのです。
しかしはっきり原因が事故にあったとなれば堂々と主張ができる。保険屋さんと交渉できるのだ。
事故がなかったらこんな年末年始の仕事もプライベートも忙しい時期に寝たきりになる必要もなかったのだから…たくさんの人達に迷惑をかけることも。
そしてもうひとつ気がかりなのが、肺塞栓。
足から飛んだ血栓が肺に一カ所、詰まっている。幸いなことにまだ呼吸には影響がない。思い返せば一度だけ夜、寝てるときに胸が痛く苦しいことがあったが…
肺にはまず一本の太い血管が入っていく。そして一番目の分岐で右と左に別れる。次の分岐でさらに上と下、さらに三番目の分岐でまた別れて…の繰り返しで細かい血管が広がっていくのだが、その三番目の分岐後の一カ所で詰まっているのがCT撮影で確認できた。
残念ながらこちらの血栓も一週間ではよくも悪くも変わりはなかった。
薬で血液が固まりにくい状態にはなっていることが確認されている。薬の力を借りていればこれ以上血栓は増えないだろうし、詰まっている血栓もこのままだろう、飛ぶ危険性もおそらくないだろう、ということで、
腕の血管に直接入れていたヘパリンはその日でとりあえずストップ。飲み薬のワーファリンの量を細かくコントロールする為に細かく調整していく。ワーファリンは一生飲み続けることになるかも…
薬の量を決められるようになるまで時間はかかるらしく当分入院継続だが、トイレまでだった行動範囲は病棟のその階だけなら少し歩いてもよくなった。
腕から針も抜けたので、かなりそれは楽になった。ずっと自分の身体に針が刺さっているのはどうにも嫌だ。
しかし、まさかこんなことになっていたとは…自分の身体なのに、目には見えないがまったく予想にしなかった展開だ。2ヶ月近く原因がはっきりせず、痛みにかなり苦しまされた。正直疲れ切っていた。
しかしいつまでたっても良くならない左足は、血栓のせいだったのだ。なぜもっと早く気がつくことができなかったのだろうか。疑問に思って総合病院に行かなかったのか。いろいろ理由はそれなりにあったのだが、非常に悔やまれる。
仕方がない。人のせいにしてもしょうがない。
自分の身体、自分のこれからなのだから。

記録9

先生の説明。別室で、入院したときの一週間前と、その日、一週間たったCTの画像を比べながら。
左足の血栓は膝の裏あたりからずっと足の付け根まで、左右の静脈が合流する手前までほぼ完全に詰まっていた。静脈は動脈に比べて圧があまりないので通常はつぶれているらしく、平行して走る動脈が丸い断面でくっきり写るのに対して静脈は見てもよくわからない。はずなのだが、私の左足の静脈、つまっている部分は丸い断面。つまりつまった血栓が血管を押しひろげている状態で、ずっと白く、つまっていることがくっきりと撮影されていた。
ひどくショック…
本来心臓に帰って行くはずの血液が静脈が詰まっているせいで充分に戻れず、血管から水分が染み出て足にたまり、足がパンパンに膨れ上がった、という状態だったらしい。どうりでまさに水風船のようにブヨブヨと膨れていた訳だ。画像からも足の筋肉と皮膚の間にずっと水が溜まって足が太くなっている様子がよくわかる。
そして一週間後の画像を見ながら、つまり現在の状況の説明が始まる。
血栓に関しては…残念ながら、一週間前とまったく状況は変わっていないと。
つまり薬では溶けなかった。詰まったまま。
しかし進行もしていない、悪化しているわけではない。
残念ながら、この先この血栓がなくなるということは考えにくいでしょう、だって…
ただ、絶対になくならないとも断言はできない。可能性はゼロではないし、血管というものはこうなった場合に自ら別のルートが徐々に発達して、もとのようにはならないが補っていくのだそうだ。時間はかかるらしいが。
腫れは、一週間左足を高くして、包帯グルグル巻きで締め上げて寝たきりだったのでほぼ正常な状態まで戻ったが、また歩くようになれば少し腫れたりするでしょうと。
まぁ…なんというか、奇跡は起こらないのだな。

2012年12月13日木曜日

記録8

肺塞栓…の死亡率とか…
あまりに暇なのでネットで調べちゃったりして…凹んだり不安になったり。
そんなこんなで、入院一週間でどんな状況に変化があったのか、もしくは変化がないのか。
二回目のCT撮影の為、車椅子で移動。そう、ずっと移動は看護士さんに車椅子を押してもらう。今までそんな経験も無かったからすごく恥ずかしい。
造影剤が身体に入れられると頭の先の方からすごく熱くなる。それがスイーッとだんだん足の方に移動していく。これもものすごい違和感がある。そしてCTの中にウィーンと身体を入れられては息を吸って、止めて、はい力を抜いての繰り返しで輪切り写真を撮影される。
造影剤は人によっては気持ち悪くなったり、頭痛がしたり、湿疹ができたり副作用が現れる人が多いらしく、経験のある人にきくと、あぁーあれ具合が悪くなるんだよね、と言うけど、私の場合珍しくなんともなかったので良かった。一度目よりも二度目のほうが身体もなれたのか、身体の熱さも少しましになった気がした。
そしてその夜、主治医から説明があるということで別室に呼ばれて、これまでから今の状況と、これからどう治療していくのかの説明を受ける…

2012年12月12日水曜日

記録7

11月29日から12月5日まで。一週間。
ずーっと腕の血管から薬を入れっぱなし。
トイレにだけは歩いて行かせてもらえたが、あとはずっとベットに横になっていないとだめ。
思う存分寝ていられると思っても、そんなに眠れる訳もなく…色んなことが頭の中をかけめぐった。
血栓で詰まったままだとどうなるのかな…もとのように仕事したり、ステージを歩き回ったりできるのだろうか?
もし仕事が今までのようにできなくなったらどうしようか…
と、いうか今まさに進行している現場の仕事は大丈夫なのだろうか…
仕事を休まなければならなくて色んな人に迷惑かけるなぁ…
お金のことも心配だ。まるまる何ヶ月も休んで、入院治療して、事故の保険がきちんと出なかったらどうすればいいんだろうか…
と、言うか、肺にいま、血栓が詰まったらヤバいんだよな。そう言えば少し前に寝てるときに息苦しくて胸が痛いことあった。その時に肺の血管がつまったのか?怖い。こんなことはもちろん初めてだ。呼吸ができなくなったら…緊急手術?肺まであけたら危険なんだろうな…もし万が一があったら家族はどうなるんだろう…
薬ももう一生飲まなければならないと言われたし…
血液が固まらない薬をのんでいて現場で怪我でもしたら危ないんじゃないか?…
なんでこんなことになったのだろう。俺はただ後ろから追突されただけで悪くないのに、なんでこんなに痛い思いして、苦しんで、心配して、不安にならなきゃならないんだろう?くやしい。
ただただ、そんなことばかりグルグルと頭の中に漂わせていた。なにもできない。ただ動かずじっとして、時間がすぎるのを待つだけ。
ひたすら我慢して…
12月5日、二回目のCT撮影となる。

記録6

かくして11月29日のよるから入院、安静が始まる。
血栓がこれ以上増えないように、また詰まっている血栓が少しでもとけるように、血液が固まりにくくなる為の薬を体内に入れる。ヘパリンという注射器にはいった薬剤を機械で少しずつ、少しずつ点滴のように入れていく。
ヘパリンは血管に直接入れるので即効性があるが、入れるのをやめると即、効果が止まるらしい。
これを24時間、一週間続けた。
ヘパリンと同じく血液を固まりにくくする効果がある飲み薬、ワーファリンも服用する。これは効くまで時間はかかるが、飲み薬なので今後退院してもずっと服用を続ける。
自分の血液の状態に合った薬の量を厳密にコントロールできるようにしなければならない。薬が少なければ血液は固くなりやすくなり血栓が増えてしまう。多ければちょっとした出血があった場合、たとえば歯磨きで歯茎から血が出た程度でもなかなか止まらない。怪我で出血なんてとんでもないということになる。
この薬の量を決めるというのが非常に難しいらしく、入院中、時間をかけて検査したり症状をみなければならないらしい。
週に一回のペースでCT撮影で血管を見ることになるらしい。
そして、今年中に退院ができるかなぁどうかなぁと。ほぼ1ヶ月じゃないかと、えらいことになってしまった。

2012年12月11日火曜日

記録5

伊勢崎市民病院についたのが11月29日の午後6時すぎ。
救急外来ですぐに採血、そしてCT検査。造影剤を身体に初めて入れた。
CTの画像はそのときは見せてもらえなかったが、医師からの説明では…
左足の太い静脈が血栓で詰まっている。それもかなり長い範囲で。膝から足の付け根あたりまで。
範囲が狭ければカテーテル手術で血栓を取り除くなり、バルーンで血管を広げることができるのだが、範囲が広いのでそれができない。これ以上、血栓がひどくならないように、またもしかしたら少しでもいまできてしまっている血栓がとけるかもしれないという希望を込めて、血液をサラサラにする薬を身体に入れる。
いわゆるエコノミークラス症候群。深部静脈血栓症という状態。そして更に…
この時点で肺の血管に、足から血栓の欠片が流れ飛んで詰まっている場所を見つけたと。幸いこれは重大な状況にはならない場所だった。しかしまた新たに血栓が飛んだ場合、肺の機能不全で呼吸ができなくなってしまう。つまり危ない。
だからの緊急入院、そして絶対安静だった。いわゆる肺塞栓。
説明を受けてもピンとこない。いま痛いのはプクプクに腫れている足であって特に息苦しくもない。
ここから24時間ぶっ通しで血管に直通で薬を入れることになる。
とにかく昼から何も食べていなくて腹ペコだったことを覚えています。

2012年12月10日月曜日

記録4

29日の午後からの外来診察の為、仕事を休んで伊勢崎市の石井病院へ。
また骨には異常ないからって薬出されて終わりかな~?と思いながら、整形外科の受付前のベンチで数時間待つ。
名前を呼ばれて状況を説明して足を見せると、すぐにエコー検査で血管を調べることに。エコー検査室へ移動。
呼ばれて入ると薄暗い部屋の中に検査技師一人、ベットとエコー器具とモニター。
調べていくと技師が、ん?ん?って様子。もうひとりの技師を呼んでふたりがかりで念入りに調べ出した。
ここがこうでしょ?それでこうきて…ここから…ふーむ。やっぱり。こうじゃないですか。うーん。みたいなやり取りを長々とやったあと、はいじゃあ外科の受付に戻ってくださーいと終了。
またしばらく待って、外科の診察室へ呼ばれる。
エコー検査の結果、左足の静脈が血栓で詰まっているようだと。
伊勢崎市民病院に血管外科の先生がいるので、今、紹介状書いて、今、連絡しますので…
連絡が取れまして、あちらの先生から、これからすぐ救急のほうへ来られるようにとのことで、おそらくそのまま入院になると思われます。
???
この時点でもう夕方5時をまわっていた。おなか減った…
が、我慢して、とにかく言うとおりにすぐ移動。
いったい何が俺に起こっているのかよくわからなかった。

2012年12月9日日曜日

記録3

事故から一ヶ月たって11月に入っても左足は痛かったです。ただ調子のいい日もある。仕事で動いたからといって疲れは出るが特別痛い訳でもなく、むしろじっと立っていたりしたほうが辛い。夜、寝ていてトイレに行こうとしたり、朝の起き抜けに立ち上がると痛い。
ふくらはぎの張りはあいかわらずで、すこし足首も腫れている。
接骨院にはあいかわらず毎日通い続けました。治療してもらうと痛みはやわらぎましたから、続ければいつか治るはずだと思っていました。
11月も後半に入り、18~24日の週は足の痛みもほとんどなくなり、腫れもひいたような気がしました。やっと治ってきたかとホッとしました。仕事で脚立の上り降りしても、歩き回っても、車を運転しても問題ありませんでした。
しかし25日の日曜日の朝、左足に痛みを感じました。ふくらはぎではなく、膝上内側から足の付け根です。
その日は一日、なるべくあるかないようにしましたが、痛みはひくどころか少しずつ増していくようでした。
26日から仕事の予定は詰まっていましたから、痛みをこらえながら時間が許される限りゆっくりと仕事をなんとかこなしましたが、痛みはさらにゆっくりと増していきまして、火曜日あたりから左足全体が異常なほど腫れてというかむくんできました。
これは今までの症状とは違う、炎症で腫れているのでも痛いのでもなさそうだし、なにより水風船にパンパンに水をいれたかのような異常な腫れ。接骨院ではない総合病院へ仕事を休んでいくことに決心しました。
最初に運ばれた伊勢崎の石井病院へ、29日の13時30分に行きました。

記録2

事故から一週間を過ぎると、両足の腫れは少し引いてきて、痛みはあるもののなんとかゆっくりなら歩けるようになったので、仕事にも復帰しました。様子を見ながらできることを無理をせず、という感じで、しんどくなったら休みをいただいて。
しばらくすると右足のほうが先に痛みが和らぎ腫れもだいぶおさまってきました。
左足の腫れが少しひいてきた時に、膝下の前の部分いわゆる弁慶の泣き所が少しぶつけたように腫れていて、足の一番下の内側に内出血が降りてきたようなムラサキのあざ。
左足のふくらはぎはこの後も長期間筋肉の張りと腫れ、傷みが続きます。
首の痛みは一週間を過ぎてだいぶ落ち着いてはきましたが、時折吐き気や頭痛を誘っているようでした。二週間目くらいには数分間隔でまるで後頭部を殴られるような激痛に襲われ、数日間は眠れませんでしたが、その後収まりました。首を回す時に慎重にゆっくり回す日々は続きます。
接骨院にはやはり毎日通い続け、変わらず電気、マッサージ、超音波、湿布の治療を受けました。

記録の意味も込めまして1

追突されたのが10月1日。
事故現場から救急車で伊勢崎の石井病院へ搬送され、レントゲンで頸部、足を撮影。診断は骨、関節に異常なし。痛み止の飲み薬と湿布薬を1日分処方された。
両足のふくらはぎは絶えず激痛の為歩くことは困難。両足の膝下は全体に腫れた。
首も追突直後より腫れと痛み。
次の日、外来で再び石井病院の整形外科を訪れ受信。前日のレントゲン写真を見て、しばらく痛みはありますねと2週間分の痛み止飲み薬と湿布を処方された。
つまりそれ以外はここに来ても仕方ないのだと解釈した。
すぐに自宅近くの接骨院に通うことに決めた。ほぼ毎日通う。両足と首に電気を流し、その後はマッサージとストレッチ、そして超音波治療。湿布を貼ってもらう。
事故後、一週間は足の痛みの為に歩くことが難しく、自宅で横になりなるべく動かずにいた。もちろん仕事にも行けず。いつもより喉が渇いて水をいっぱい飲んだ気がする。トイレまで歩くのも辛かった。

2012年12月8日土曜日

現在、入院治療中です

スマホからようやくブログの更新ができるようになったので、簡単に報告しておきます。
現在、左足深部静脈血栓症で入院治療中です。今まで絶対安静でしたがまずは一週間の治療と検査が済み、まぁ大丈夫だろうと少し安静度が緩くなり、病室の廊下までやっと歩けるようになった感じです。
退院時期はまだはっきりとは分かりませんが、正月に帰れるかどうかだそうです。本格的に社会復帰できるまではさらにかかるようですが。
完全に以前のようにまで身体が戻らないかもと言われています。今後の生活にすこし影響が残る可能性があるようで不安です。食事制限や飲み薬、治療や検査は退院後も続きます。
仕事のほうは後輩が頼もしく育ってくれたので幸いでした。心配はあまりしていませんが、自分が元通りに復帰できないのではないか、とか、収入のことも家族の生活や自分の医療費に関係しますし…原因が追突事故にあると完全に認められるのか、保険で処理してもらえるのかとか…
ま、入院中は動いちゃだめなだけで暇ですから、色々と考えてしまうのですが。
でもね、結局、なるようになるさ~(笑)
今回の事もちょっと間違えたら外で倒れて死んでたかもしれないし、生きててラッキー。病院に行きなよって言ってくれた人達のおかげです。
そして乗り越えるしかないんだし!っつーか乗り越えるし!はやく元気になってギター弾きたいし、音楽作りたいし、仕事にも戻ってみんなに会いたいし、家に帰って家族を安心させたいし!
真面目に必死にちゃんと休んで、1日でも早く退院したい。
そしてまたしばらくしたら何事もなく、みんなの前に現れると思います(笑)
一週間で6kg痩せました。筋肉も脂肪も減ったから。スマートな姿をお見せできなくて残念。そしてなぜか身長が2cm伸びてました(笑)
暇なのでちょこちょこネットには現れますので、どぞよろしく。